大 阪 経 済 法 科 大 学
体育会 女子バレーボール部

女子バレーボール部の誕生
1992年、山川順さん(初代主将)が、当時男子バレーボール部部長であった故大森敏行助教授(99年10月、急性白血病にて急逝)に相談し、大森先生は彼女の熱意に動かされ、4名の部員を集め、誕生した。
誕生後の活動
こうして女子バレーボール部は誕生したが、1年間活動し、続いたら連盟登録をするという約束での誕生だったため、彼女らは、公式戦に出場することはなかったが、和気あいあいと1年間練習に励んだのであった。
初公式戦以後の活動
創部2年目の1993年、部員は8名となり、関西学生連盟に登録。10部リーグでのスタートとなる。年度毎に上位リーグへの昇格を果たし、2部まで上昇するも、1999年関西学生女子秋季リーグ戦において、部員数6名、けがをすれば即棄権となる中で、主将の昇一葉を中心によく頑張ったが、全敗の屈辱のうえ、3部降格となってしまった。
奇しくも、大森先生が急逝される直前のことであった。
大森先生の急逝後、指導者を亡くした女子バレー部に、新たに部長兼監督として黒田進講師(男子バレーボール部監督)が就任した。
2000年からの活動
2000年を迎え、新入生5名が新たに経法女子バレーボール部に入部した。これで部員は11名。何とかチーム内でのゲームもこなせるようになり、3月には女子バレー部初の東京遠征(日大、早大、大東文化大)を経験し、大森先生存命時の2部へ戻るため、辛い練習を積み重ねた。
4月29日に開幕した春季リーグ戦では、連戦連勝で3部優勝、見事2部復活を遂げた。
経法大女子バレーボール部の、新たな伝説を作るための船出であった。
